私がれんげにやってくるまで その1|れんげ訪問看護リハビリステーション・精神科訪問看護クレヨン

ステーション日誌DIARY

私がれんげにやってくるまで その1

2023/2/17 金曜日

こんにちは。

 

れんげ訪問看護リハビリステーション
(東浦和、南浦和←New)
訪問看護ステーションくれよん
を運営する株式会社Proviamo所属

 

ブログ番長兼インスタ番長(低浮上)兼
「日本一踊れる言語聴覚士」
木津玲子です。

 

本日もお読みくださり
ありがとうございます。

 

現在の私は、大好きなBE:FIRSTが
デジタル配信曲を出して
そのMVやダンスパフォーマンス動画も
YouTubeで上がったので

 

毎日それを見てニヤニヤしています。

 

ちなみに私の今の
パソコンの壁紙もBE:FIRSTです。

 

なので、れんげの事務所に
BE:FIRSTの壁紙のMacBookがあったら
それは100%私のものです(笑)。

 

 

さて、時々聞かれることがあって
それは

 

「どうしてれんげで働こうと思ったの?」
ということです。

 

なので、なぜ私がれんげで働くことになったのか
そんな話を今回はしたいと思います。

 

一言で言うと…
紹介!
なのですが、

 

それで片付けてしまったら終わってしまうので
もう少しだけ細かく経緯を
書いていきますね。

 

実は私は
言語聴覚士としては少しブランクがある状態で
一度言語聴覚士としてしばらく働いたのち
体調不良で辞めていまして、

 

その後しばらく
フィットネスクラブで働いておりました。
(今でもご利用者さんに「いつも元気だね」など
言われることがありますが、
それはこの時の接客経験などがあると思います)

 

その時に同じくジムトレーナーとして
アルバイトしていたKくんという
大学生(当時)と知り合います。

 

そのフィットネスクラブは
結構スタッフ同士も仲が良いクラブでしたが
その時にKくんはじめいろんなスタッフさんに
言語聴覚士をしていたこと、などを
お話ししていました。

 

その後Kくんは
大学を卒業し、理学療法士さんとして
お仕事をスタートさせます。

 

彼は都内の整形外科に勤務しました。

そこはまだ開設して新しいクリニックで
立ち上げとして皆さん頑張ってこられていましたが
段々と患者さんが増えてくるにつれ
やはり人手が足りなくなってきたそうです。

 

当時、そこでは
大活躍をしていたリハビリ助手さんが
いらっしゃいましたが、
彼女は子供を抱えるお母さん。
おまけにパートさんだったので

 

フル稼働で働く、というのが
大変な時もあったそうです。

 

そんな事情を全く知らない私は
ある時に冗談でKくんに
「リハビリの経験なら多少はあるから
助手とかで人手不足ならいつでも言って」
と話していたところ

 

それが本当になり(笑)
そのままクリニックの院長と面談。
パートのリハビリ助手として働きます。

 

結局そこには1年強?くらい
いたのではないかと思います。

 

このクリニックでの経験が
後に私がれんげで働くご縁に
結びつくわけなのですが…

 

長くなったので
続きはまた今度書きます。

楽しみにしててください
(されてるかな?)